貧乏な人とお金持ち…なぜお金に対して認識が異なるのか

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「お金がないなあ」

なんて言葉は、日常的に誰だって口にしますし、他人のそんな言葉も耳にしますよね。
しかし、そこで口にする「お金ないなあ」という言葉、誰が、どんな人が言うかによって、実は意味が異なるのです。

中には本当に、財布の中に一円もお金がない人もいるでしょう。しかし対して、十分使えるお金を現在持っているにもかかわらず、「(先月の収支状況を思い返せば、一ヶ月後の今は比較的)お金がないなあ」というような意味あいで「お金がない」と言う人もいるでしょう。

両者は同じく「お金がない」と言っているにもかかわらず、そこに含まれている意味は異なります。なぜなら両者の間には、明確なお金に対する認識の違いがあるからです。

あなたにとって「お金」とは?

お金とは、日本における「日本銀行券」とも呼ばれる、貨幣通貨のことです。このお金を使えば、どこかのお店で売っている「品物」と交換することが可能。その品物は衣食住にまつわるものから、贅沢品と呼ばれる嗜好品まで多岐に渡ります。

場合によっては、お店で売っていないもの、「人の心」もお金で買えるなんていう人もいますが、それもお金に対する認識の違いによるものです。人により、「お金」という言葉には、違う意味が含まれているのです。

お金の認識が違う例を、以下で紹介したいと思います。

お金を「道具」として見ている人

まず紹介したいのは、一番正しいと言ってもいいかもしれない、「お金」は「お金」だと見ている人です。お金はお金でしかないと思っている人は、それほど「お金」に執着がない人が多いです。

このタイプの人は、他人が「お金持ち」だろうと、「貧乏人」だろうと、バイアスがかからず、正しい目線で人を見ることができます。私は現代日本社会において、こういう人が少なくなりつつあると思っています。資本主義社会で生を営む上で、お金はその人を測るものさしとしての役割が強いからです。

お金は「知識」「知恵」の象徴だと思っている人

続いて、私もこの色が強いのですが、お金に対し、「知識」や「知恵」の象徴だと見ている人です。こういった人は、「お金の使い所を知っているということは、この人は知識を持っており、知恵もある人だ。」と、他人の評価基準の多くをお金が占めてしまいます。

確かにそれは正しい面もあると思うのです。お金の使い所がうまく、節制できている人なら、「お金の知識がある」ことは間違いないでしょう。しかし、お金を知恵の象徴としていると、お金に困っている人を見下してしまう傾向があります。

私含む、お金を「知恵」の象徴として見がちな人は、お金の知識を欲しがる態度はそのままに、お金の認識を正す努力をしたいです。

お金を「力」の象徴だと感じている人も

そして多いのが、お金を「力」の象徴として見てしまう人です。

お金をたくさん持っており、お金を使うことに迷いがないこと、それを「力を持っている」と見る人がいます。逆に、お金を出し渋っている人を見ると、「力を見せろよ」と感じる人。

こういった人は、たとえその人が人でなしであったとしても、「お金がある」一点でその人を評価してしまいがちです。お金を評価基準とすると、他人の本質を見抜くのが難しいですね。

お金は確かに多くのものを動かす「力」を持っているといえますが、多くのお金を持っている人が多くの力を持っているかというと、そうではありません。

女性なんかにこの傾向が強いと思ってしまうのは、私の偏見でしょうか。

本来お金は「道具」としての使い方が正しいはず…しかしお金の魔力に飲み込まれてしまう人も

上でも述べた通り、本来お金は何かを買うための「道具」でしかありません。適正な分量で、自分が困らないだけのお金を持っていればそれでいいはずなのです。しかし、お金は「魔物」です。お金を持っていれば、何でも手に入ると考え、お金を手に入れるための手段を選ばない…そんな人も多いのです。

何かを得るための「お金」から、「お金」を手に入れるための人生へ

お金は何かを手に入れるために必要なもののはず。お金を手に入れるゴールは、お金と品物、サービスを交換するためのものです。しかし、お金の魔力にやられてしまうと、因果と目的が逆転します。

それを表すように、世の犯罪の多くはこの「お金」を基点にしたものが多いです。どれだけお金が人を狂わせてしまうか、普段のニュースを眺めているだけでわかるはず。

お金を手にするために犯罪を犯す人

お金を手にするために、法律を犯す人は今も昔も絶えません。単純に、人に危害を与えて直接お金を奪う犯罪から、頭を使ってお金を奪う方法まで。お金に関する犯罪には枚挙に暇がないほとです。

お金があれば幸福へまっしぐらではない

お金があれば、たしかにたくさんのものが手に入るでしょう。眼前に多くの選択肢が広がるでしょう。お金があればいろんな美味しいものを食べられますし、いろんな場所へ旅行へも行けます。

しかし、お金がないと「幸福」でないかというとそうではありません。お金が十分でなくても、その人なりのスケールで、その人なりのサイズの幸せを得ることは可能です。たとえ都心の大豪邸に住んでいなくとも、片田舎の一軒家に住んでいる幸せな家庭も多いですよね。

お金は確かに幸せへの近道となりえますが、幸せを感じるために絶対必要なものではないのです。

しかしお金がないと不幸へまっしぐら

対して、お金がない「貧乏」な状態では、それだけで「不幸」だと言えます。

単純に、食うに困るほど貧乏だと、不幸どころか生命の危機です。お金は有り余るほどたくさん持っている必要こそないですが、一定のお金を持っている必要があるのです。それがもし、自分だけでなく、家族もいる場合の生活だとなおさらです。家族に一定以上の教育をしてあげたいなら、一定レベルの教養をあげたいならある程度のお金が必要なのです。

お金を貯めるのは生存戦略である

ある程度お金を稼ぐこと。そして稼いだお金を未来のために貯めておくことは、自分の人生を守るための「生存戦略」だと言えるでしょう。何も考えずお金を使い放題で、貯蓄をいっさい持たない状態では、単純に将来身の危険をもたらすことになります。

自分の将来を担保するという意味合いを込めて、ある程度のお金を備えておく努力と知恵も必要ですよね。

「お金がない」人を見下すのは間違い

最後に、お金を持っていない人への認識の話をして終わりとしたいと思います。

お金のある無しで人を評価しているとキリがありません。あなたよりお金を持っている人なんてたくさんいますし、逆にあなたよりお金がない人もたくさんいるのです。

「自分がどれくらいお金があるか」そして「他人のお金の総量」は、人生の価値基準を決める上で一番の重きをおくべきではありません。お金に困っている人の中には、やむにやまれずの事情があってお金がない人だっているでしょう。そういった人を見下して、言葉や態度で攻撃するのは、絶対にやめましょう。

まとめ:お金はあくまでお金でしか無い

今回は、お金と認識の話をしました。

現代日本で生きている限り、お金と人生を切り離すことはできません。お金に対して誤った認識を持たないようにしましょう。

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